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Home » 茶屋町の偉人「磯崎眠亀」 » 第七章 デラカンプ事件第七章 デラカンプ事件
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あるとき、こんなことがありました。これも眠亀の人がらを表わす話としてデラカンプ事件を紹介しましょう。 明治29年(1896)、そのころ外国に有利な通商条約が日本と外国との間に結ばれていました。それをたてに外国の商社が日本の商品を値切ったり、取引のうえで不利なことを押しつけたりする例がよくありました。 あるとき、アメリカの貿易商C―デラカンプが、電報で磯崎製莚所へ注文をよこしました。 「5月10日までに品物送れ、十円で買う。」と。眠亀はすぐさま一万円ほどの花莚を神戸に送ったところ、ずっと後になって、「約束の日までに品物が着かなかったから一畳八円でないと買えない」と言ってきました。 驚いた眠亀は、すぐ神戸に人をやって調べたところ、ちゃんと予定の日に倉庫にはいったことがわかリました。 「けしからぬことだ。」 眠亀は数十人の人夫を連れてデラカンプ事務所に押しかけ、 「うそをついてまで注文の品を値切るとは何ごとか。約束の十円をきっては一枚も売らぬ。」 と証拠をつきつけて談じこみました。返答しだいでは倉庫へ押しかけるぞというわけです。デラカンプは、「では九円五十銭まで」と申し出ましたが、 「約束は約束だ。ただ一つ会社のためだけではない。日本の商人全体のために言いなりにはできぬ。もしそれでもというなら、裁判に持ち込んででも戦うつもりだ。」 ときっぱり言いきりました。 その眠亀の勢いに呑まれてデラカンプもどうすることもできなかったということです。 当時は外国人の言いなりに泣き寝入していた日本の商人のなかで、眠亀こそ真の日本の商人であったといえましょう。 岡山県の産業はもとより、日本の産業に大きな功績を残した眠亀は、明治30年(1897)緑授ほう賞を国の産業功労者として受けました。その後仕事をゆず り、囚人の更正や、親のない子のために尽くし、社会事業にも活躍し、明治41年1月、75歳で静かにこの世を去りました。 岡山市東山の墓地にまつられています。 |
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